OVER




 記録が、伸びなくなった。

 それはきっと、誰にでもある試練の時期。




 「あかりー、練習終わるよー」

 「ごめん、もう少し練習してから帰るよ」

 「無理しないでよ?」

 「うん、大丈夫」


 友達が更衣室に消えるのを見送って、私はトラックを見つめた。
 いつもと変わらない筈のグラウンドは、私を拒絶するように広く思えた。

 もうすぐ、インターハイなんだ。
 今までの練習試合だって全部勝ってきた。
 自信だってある、そしてその自信に慢心なんてしていない。
 自分の記録に限界を感じることもない。

 それなのに。

 ある日、突然タイムが上がらなくなった。
 むしろ落ち込む一方の記録に、コーチさえも言葉を探しているようだった。
 若王子先生は、きっとスランプなんだと頭を撫でてくれた。
 けれど私はエースとしての期待に応えなければならなかった。
 スランプに陥ったと聞いて心配してくれる部員に混じって、エースなのにと陰口が囁かれるのを聞いた。

 悔しくて、言い返したかったけれど本当のことで。
 私は練習量を倍にした。


 「海野さん」

 「はぁ…ッ若王子先生……」

 「頑張るのはいいことです、でも絶対に無理はしちゃいけませんよ?」

 「はい…」


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 町内を一周走り込むために、普段より二時間も早く起きた朝。
 ベッドから立ち上がる時に目が眩んで地面が揺れた気がした。

 熱があるかもしれない、今日はいつもの時間までゆっくり寝よう。
 頭によぎった考えを振り払って早朝ランニングを終え、学校へと登校した。

 ひどく頭が痛い。
 頭痛にも効く風邪薬を飲んできたのに。
 けれど誰にも気付かれる訳にはいかなかった。
 休んでいる暇があるのなら練習をしなければ。
 一刻も早く、エースとして胸を張れるだけのタイムを取り戻さなければ。


 放課後、他の部員たちから少し離れた場所で短い距離を何度も走る。
 足がもつれて転んだ。
 泣いちゃダメだ。
 泣いたらきっと、もう立ち上がれない。
 下唇を噛み締めて、また走り始める。
 部員たちの笑い声が、遠く聞こえた。


 部活の終了時間を過ぎ、誰もいなくなったグラウンドに立つ。
 入学当時からずっと走ってきたコース。
 度重なる練習試合で何度も勝利を味わってきたコース。
 大丈夫。
 私は走れる。
 タイムだってきっと。

 スタートした瞬間、目の前が真っ暗になった。



 「…のさん……海野さん!」

 「…………若王子…せんせ?」

 「…ッ無理はしちゃいけないと言ったでしょう!君だけの体じゃないんだ!僕だってコーチだって部員たちだって……君が倒れたらどれだけ心配すると思ってるんですか!スランプを抜けようと努力するのはいい、だけどそれはがむしゃらに走ればいいってことじゃない。………どうして先生やコーチに練習メニューについて相談をしないの?人間は、一人では何も成し遂げられない。君はもう少し人に頼ることを知りなさい。」


 初めて 怒鳴られた。

 若王子先生に初めて怒鳴られた。
 それも、本気で。
 言われたことばが全身に響く。
 体中の力が抜ける。


 「……ッあぁあぁぁあぁああー…!」


 大声で泣いた。
 重たい枷を外すように。
 持て余した熱を放出するように。
 全てを吐き出すように。

 そんな私を、先生はずっと抱きしめていた。

 何も言わずに。
 ただ、抱きしめていた。


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 「先生!メダルメダル!」

 「やや、金ピカだ。おめでとう海野さん。君の力だ」

 「違いますよ先生、みんなの力です!」


 三年間の集大成。
 インターハイで私は大会新記録を叩き出し個人優勝。
 総合でも見事に優勝することができた。
 陰口を言っていた部員は何故か私に頭を下げに来て。
 正直に謝りにくるなんて面白い人たちだなぁなんて呑気に笑ったら、"若ちゃんが恐かったから"なんて真顔で言われて面食らってしまった。
 若王子先生が"恐い"だなんて先生一体どうしたんだろう。


 「先生、また私が道を間違えたら…正しい道に案内して下さいね!」

 「それじゃあ…ずっと手を繋いで、僕と同じ道を行けばいい。そうすれば、お互い正しい道に案内し合えるでしょう?」

 「……先生それはプロポーズの言葉では…」

 「や!プロポーズに聞こえたのならプロポーズだ。言葉の力は偉大です」




 記録が

 伸びなくなった

 それはきっと

 誰にでもある

 成長の時期

 理解の時期